「なりそこない」がちょうどいい!

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当時中学生だった僕の阪神淡路大震災の記憶。被災地から少し離れた大阪の状況。

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未だに朝の5時45分付近に

トイレなんかに行くと思い出す

阪神淡路大震災の記憶。

僕は当時大阪にいた。

中学生くらいか。

大阪の中心部に居たので

被災したという実感はないが、

大きな揺れを感じた時は

「この世の終わり」を感じた。


当時、大阪って

「地震が少ない地域」というイメージがあった。

当時僕も子供という事で、

地震に対する危機感なんて

阪神淡路、東日本大震災を

経験していない僕らからしたら

薄かったであろう。

そんな時に起きた地震。

不意を突かれたという感じだろうか。 

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記憶を蘇らせてみる。

時間的に寝ている時間だ。

これもまた不意打ち。

父親の「地震や!」

という声に覚醒したと思たら

大きな揺れがやって来た。

縦揺れか横揺れかなんて考える余裕がない。

まだ暗い部屋で

蛍光灯の光が揺れて

線状になって見えた。

必死に布団にもぐりこむしかできなかった。


布団にもぐっていた僕の頭上に

当時まだ大きいデザインのビデオカメラが

落ちてきたが、ケガはなかった。

高い所に重いものは置いてはダメだと

未だに思っている。

時間の感覚としては

それほど長くない感覚だった


母に話を聞くと

ちょうどお弁当を作ろうと思い、

火を着けるか着けないかの

タイミングだったらしい。

もし火を着けていたら

被害が大きくなっていたかもしれない。

僕が住んでいたあたりでも

地震による火災などは無かった。

揺れ的には小さい地域だったのかもしれないが、

恐怖を味わった。


その日は停電などなく、

学校へ行く時間になると

いつも通りに家を出て

友達の家に寄りいつも通り通学する。

「あの家傾いてない?」と

冗談半分で学校へ向かう。

学校へ着くや

「なんで学校へ来たんだ!帰れ!」と

とんぼ返りさせられる。

詳細は解らないが

子供の感覚でそうとらえた。


子供としては学校のつもりが

学校が無いという嬉しい感覚。

これまたいつも通りに家路につくが、

家についてテレビを見て愕然。

神戸が火の海なのである。

東日本大震災と時代の違いもあるが

情報が遅かった。

自分が住んでいた場所の

被害が少なかったからというのもあるが、

情報収集の癖が今ほどなかったのだろう。 

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親戚のおばちゃんが一人でいるのが

怖いのかウチに来てしばらく過ごしていった。

余震がやっぱりあったので

確かに生きた心地はしない。

後日、父は勤めてた会社経由で

ボランティアにも行った。

詳しい話は聞かなかったか

言わなかったのか、

あまり記憶にない


ここまでが僕の阪神淡路大震災の記憶だ。

被災地ではなかったので、

劇的な事はなくすんだ。

被災したところはもっと

とんでもない事が起きていただろう。

僕の阪神淡路大震災の体験は

大したことないかもしれないが、

土地は繋がっている。

これくらいで済んだのは奇跡かもしれない。


なぜこの記事を書こうと思ったのか?

僕のブログの意義でもある

「何かの参考になれば」。

悲惨でもなく、劇的でもなく、

とある中学生の作文程度の内容だが、

そんな記事でも

「何かの参考になれば」そう思っている。

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とりあえずここまで!

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