「なりそこない」がちょうどいい!

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お墓参りに行けない。罪悪感を感じず、正当化する方法。きっと許してくれる

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今まで当たり前の事が
当たり前じゃなくなる。
これがコロナ前コロナ後と
なるわけだが、これからの環境に
ちゃんと適応できるかどうか
大事になってくる。
その一つのお墓参りも入ってくる
先祖に手を合わせに行く事も
難しくなっていくのではないか?

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お墓参りに行きたいけどいけない

こういう状況が今まさに
起きているのではないだろうか?
お墓参り以前に
お葬式すら遠慮しなければ
ならない状況でもある。
もしもの話だが、それぞれの現場に
コロナの危険があるのに行っていい物なのか?


難しい判断が必要になる
お墓参りに行かないと駄目なのか?
危険を冒してまで行かないと
ご先祖さまに呪われるのか?
そんな事は無いと思う。
ましてやご先祖さまだ。
自分の身を危ない目にあわしてまで
先祖はお墓参りを求めてないはずだ
自分の身を守らなければ


楽天的な発想
これを持っていると何も考えず
お墓参りに限らずどこにでも
行ってしまうだろう。遊びだったり
そういう人にとってこの記事は
何を言っているのだろう?と
なるだろう。だがこのような考えの人も
事実いるのだ。
行きたいのに行けない状況の人も


今年だけごめんなさいする
この記事を書いているのが
まだ6月後半。
目先にお盆休みがある。
現時点でコロナの感染者数は
毎日40人前後を行ったり来たり。
僕はこの状況でもあまり外出したいと思わない
そしてお盆当たりにどれだけの
感染者がいてもお墓参りに行くか?


人それぞれだが、
危険に思ってる人にとって
楽天的な考えの人は
危険視してしまう事もあるだろう
お盆の時期に親戚で集まる。
そんな場に行っていいのだろうか?
年配の人達が集ま場所へ
行っていい物なのかどうか?
僕はすごく考えてしまうわけだ


常に先祖を思っていれば
お墓参りに等に執着する必要は
ないのではないか?
親戚同士の付き合いだから行くのであれば
お墓参りではなく、普通に
親戚集まりをすればいい。
お墓参りを理由に
この時期に集まる事は
先祖の人たちも思ってないはずだ


遠くで手を合わせる
僕は無宗教だが、
この気持ちはある。
なぜ手を合わせるのか?
その理由も解らないが手を合わせる
先祖の事もあまり知らない。
祖父母くらいしか知らないが
その人達との関係がちゃんとしたものなら
それで許してくれるのだと思ている


何十年と続く事ではない
コロナの騒動も
おそらくワクチンができるまでの
間だと思う。この何年間だけ
色んなしがらみを許し、許されて
生活して行ってもいいと思う。
この騒動に動かないことが
そんなにいけない事なのか?
指摘する人の方がどうかしてると思う


生きてる人にすら合えない。
そういう状況だ。
自分にも90歳超えたおじいちゃんがいるが
なかなか会いに行く事も難しい。
でも手紙を書いたり、電話をしたり
することはできると思う。
行動よりも気持ちが
大事なんじゃないだろうか?
解ってくれる人は解ってくれる。


ごめんなさいしよう。
行けなくてごめんね。
という気持ちがあれば
解ってくれるはず。
解ってくれない人はそれまでの人。
そう思うしかないのだ。
今回の騒動は自分だけじゃなく
周りにも被害が及ぶ出来事なのだ
大体の人がみんな初めての事なのだ