「なりそこない」がちょうどいい!

シンプルで効率の良い生活について書いてるブログ。

簡素化されるお正月。年々ミニマリストは過ごしやすくなっていく。

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一年に一回やってくる年末。
ここ何十年で年末年始の
世間の雰囲気も変わった。
昔はお正月なんてお店がみんな閉まってて、
少し非現実感みたいなものも味わえたが、
今では近所のスーパーなんかも
元日から営業している。
まぁ年末の買い物なんて
しなくてもよくなった。

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簡素化される中でも風習などは大事。お正月飾り紹介!

 

 

規模が小さくなる年末年始


おせちも台所に立つ人が楽するためにあると
いう説もあるが、外食店も営業してあるので、
こだわらなければ食には困らない。
便利な世の中というのか、
風情が無くなったというのか?
もうお正月なんて少しどうでもいいと
思っている人もいるのか


年賀状というシステムも無くなりつつあり、
忘年会新年会も昔と比べると
件数が減ったと聞く。
要するに人と関わる頻度が
少なくなったのであろう。
お正月くらい会おう!という
気持ちすらなくなりつつ現在。
楽と言えば楽になった。


親戚集まりや、
昨年お世話になった人(例えば仕事の上司)の
家に行き挨拶をするなど、
そんな発想を持っている若い人は少ない。
簡単に言ってしまえば正月の行程が
ミニマルになったとでも言おうか。
正月要らないという発想に近いかもしれない。


昔の話ばかりして年寄くさいが、
昔は年末に散髪に行き、
お正月に着る新しい服を買い、
そうやって年越しを迎える事が多かったが、
これもまたない。
正月ってなんだろうか?
ただ単に慌ただしくなるだけで、
なんか意味があるのか?
そう思えてくるときもある。


結局の所、正月が
「小規模」になっているのだ。
お金をかけず、余計な労力も使わず、
なるべく普段と変わらない生活に
なって行く年末年始。
僕に似た感情の
「正月を望んでいない」という人が
増えた結果、
正月の盛り上がりが少しかけてしまったのか。
それとも何かしらの衰退がこうさせたのか


我が子小学生だが、冬休みの宿題に
「正月の食事」について調べて
という課題がある。
おせちの写真や、お雑煮の写真を撮って
調べてと言う。
僕がおせちに入っている料理が
それほど好きでないという事もあり、
おせちなんて何年も頼んでいない。
でもしかたなく、今年は頼むことになった。


おせちの写真を撮って
学校へ持って行くという宿題。
これは変に安いおせちだと
子供がかわいそうだ。
これは誰が何と言おうが「見栄」である。
ミニマルな生活に「見栄」は「悪」だが、
子供が少しでも良い様にみられるのであれば
この「見栄」は必要になる。


正月はハワイへ行った、グアムへ行った。
どこぞへ行った。
そんな見栄を土産代わりに持ってくる正月。
ハワイへ行く人が悪い訳ではない。
たぶん正月こそ
生活水準の差がでるんじゃないだろうか?
なんだかんだお金を使う時期に
使う人と使わない人の差がハッキリする。
これはなんとなくよくない


寝正月という言葉もある。
これはこれで贅沢だと捉える人もいる。
「大型連休に人が
たくさん集まる所へ行くのは
貧乏人の発想だ」。
そういう人もいて、
自分もその理論をいいようにとらえている。
結局は少し
妬みも入っているのかもしれないが


昔と今どちらの正月がイイか。
40歳前の僕にしてみれば、
昔の正月も知りつつ、
今の正月の簡略化した感じも
負担が少なく良い。
必要に応じた形になっているのかもしれない。
ここはミニマルな生活を
送っている人にしても過ごしやすい
正月になりつつあるという感じか。