「なりそこない」がちょうどいい!

シンプルで効率の良い生活について書いてるブログ。

ミニマリストは備えてはいけないのか?ストックとミニマリストの話。

備えあれば憂いなし。
備える事は大事だが、
何にでも備えていればそれはマキシマリストへの道。
何が必要で何が不必要かこれもまた人それぞれで、
結局「備えの感覚」次第で
持ち物の多さが変わってくるのではないだろうか?
何に備えるか?ヤバい時のために備えるのだ 

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 誰であろうが、備蓄で助かる事が多いのは事実

非常食紹介!

 

ミニマリストは備蓄してはいけない?

 


もしトイレに入ってトイレットペーパーが無かったらヤバイ!
という危機的状況を推測してトイレに余分に
トイレットペーパーを置いておく。
一つでいい?二ついるかな?と
さらに予備を置く事でみるみる部屋にものが増えてくる。
過剰な危機的状況の推測は物が増える原因だ


物を手当たり次第捨てる事よりも、
まずは「危機的状況の推測」が大事だ。
簡単に必要最小限主義になりたいのならこれがオススメだ。
トイレットペーパーの予備をトイレに置いておくか?
一つか二つか?なぜ二つなのか?
この理由はハッキリしていれば
3つ目のトイレットペーパーは置く事が無いだろう


家の中の物を「駒」と思うのだ。
将棋の駒、チェスの駒。どこに何をどれくらい配置するか
「軍師」気分で策を練る。
頭で考えて策がまとまらなければ紙に書く。
めんどくさいと思うだろうが、
家がうまく機能した時の喜びは大きい。
危機的状況をクリアできた時はもっと嬉しい。


危機的状況の推測ってどこまで必要なのか?
それは他人が決める事じゃなくて自分が決める事。
非常食を何日分用意しておくか。
ネットやテレビでは「目安」として情報を流しているが、
ここ最近よく聞く「想定外」という言葉も考えると
目安に合わせていいのだろうか? 


防犯面の危機的状況の把握も大事だ。
女性が夜道を歩く。
もし変な人に襲われた時声が出ないという。
防犯ブザーで救われる事もあるかもしれない。
コレを聞いて防犯ブザーを持つか持たないかは
個人の自由だ。
防犯ブザーは必要な物か?不必要な物か?
物を減らす事を中心に考えてはいけない。


ビビリな人ほど物が多いのだろうか?
ビビリは悪い事ではない。ビビりは失敗しない。
道を歩いていて、
もし転んだ時のために絆創膏を所持する人いると思う。
絆創膏だけでいいのか?
消毒とか包帯とかそこまで持っておかなくていいのか?
こういう感覚の差、当たり前にあると思う 


地震の時なんかも学校では防災ずきんをかぶって
避難するように訓練をしている。
防災ずきん。各家庭には要らないのだろうか?
代用がある?それともなるようになれ?
ミニマルな生活をする人、たくさんいるが、
「代用派」と「なるようになれ派」どっちが多いのだろう?


人って結局いい加減だ。
自分が出来ない事は目をそらす。
それでいいんだ。なんでもかんでも出来る人なんていない。
大掃除のプロだって掃除できてないところがあるはずだ。
危機的状況の推測も自分が思いついた事だけしていればいい。
それ以外は自分の中の「想定外」だ

365日毎日ブログ更新をした感想と、実績は残るのかどうかという話

この記事でブログ開始一年が経過して、
365日毎日ブログ更新を達成した。
長いようで早かった。
最初はとりあえず書いて見ようから始まり、
だんだんと解って行き、
書く事にも慣れてきた。
人ってやって行けばどうにかなるもんだな

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 ブログを始めるにはまず、打ちやすいキーボードが必要

キーボードご紹介!

 
このブログの意味


このブログはミニマリスト、ダイエット、子育て、節約、
これらがテーマのブログであった。
ミニマリストとしての記事が大半だ。
本当は子育てや、ダイエットについて書きたかったが、
ミニマリストとしての活動を早く終わらせたいという気持ちもあり、
集中して記事を書いた


なぜミニマリストとしての活動を早く終わらせたかったか?
それはミニマリストとして発信する事に限りがあるという事。
物を減らせばそれで終わってしまうという事だ。
そんな事に長々と書いてられないと思いきや、
一年はなんとか記事は書けた 


今後はもっと物事にピンスポットを当てた記事を書いていきたい。
「物を減らそう」じゃなくて「〇○をどうにかしよう」など。
ぼんやりとした話を聞いても聴いてる人はしっくりこない事もある。
それにその方が記事のネタとしても多く使える。


ブログも書くのが慣れてくると、書き方も色々工夫がある。
僕のブログも最初と最後では全然構成が変わっている。
ブログを書く事はまだ辞めない。
現時点でさらに書き続けようか
少しペースを落とそうか迷っているくらいだ


ブログを書く事は楽しい。
僕はそれほど人に見てもらおうという事を意識していない。
自分が言いたい事を書くという感じ。
あとは遺書とまでは行かないが
僕の見聞録的な物として残しておきたいという事もある。
僕が死んでも僕のブログは残る。
これは大事だ


ブログの文字数も1000文字くらいと決めている。
それ以上書くと長いし、
それ以下だと少し短い。
丁度1000文字くらいが読み手も書き手も良いのだ。
1000文字あれば大体の事は伝えられる。
それで足りなければ不要な文面を削って行けばいい。
ツイッターと同じ


このブログは自己啓発ブログなのだろうか?
と自分で思う時がある。
より素晴らしい人間になるために考えたり行動したりする。
それについて書いたりもしているが、
自分では自己啓発のつもりはない。
少なからず僕はそれほど向上心がある人間ではない。


自己啓発ブログなのか、
それともどこのだれか解らない人が書いているブログなのか、
それは読み手が察してくれればいい。
ミニマリストと名乗っているが、
ミニマリストなのかそうじゃないのかも
好きなように感じ取ってほしい。


今後デスパパとしての活動、
まずはブログは継続的に書いていきます。
毎日かもしれないしそうじゃないかもしれない。
あとは過去記事のリライト。
それ以外にまたyoutubeで活動したいなと思っています。


あと、僕は主にツイッターに居ます。
もしよければツイッターのフォローなどしてもらえると
ブログよりもリアルタイムなツイートを挙げていきます。

いい年の男性が使う絵文字はスタンプはモテ要素か?世間の反応は??

僕が昔から気を付けていることがある。
今回は男性主体の話だが、
女性の人もぜひ読んで色々思ってほしい。

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いい年の男性の絵文字やスタンプはモテ要素?

絵文字の歴史などは
きっと文字ができる前、象形文字などが
絵文字の始まりなのではないだろうか?
鳥っぽい絵を簡単に書いて鳥と伝える。
万国共通に伝わるかもしれない。
でもこれは文字がない時代の話。
今は文字で正確に気持ちや考え、状況を伝える事が出来る。


だから絵文字なんていらなんじゃないだろうか?


と僕は書いているが、それほどそんな事は思ってはいない。
メールなどの文化が始まり、僕がなぜ、絵文字を使わないのか?


それは


ただ、めんどくさいだけだからだ。


ある程度文章を作って、絵文字を入れる。
娯楽という意味で絵文字や、今だとスタンプなどを入れる。
それらを楽しんでいるのはイイと思うが、
僕はその必要がない。メールやLINEで物事を伝える時
絵文字やスタンプで娯楽性を伝える事も必要ないと思っている。
内容勝負でしょ!絵文字がなくたって、文面が面白かったらいいんだよ!
と昔は強気でもいた。それほど文才もないのに。 


でも、絵文字がなくたって、「うまくやっていける」
そう思って今まで絵文字やスタンプなどは使ってこなかった。


絵文字やスタンプって必要?という話になってくるわけで、
僕にとっては必要ない物なのだ
だから使わない、要らない、必要ない。
ただそれだけだ。
要らない物を捨てるのと同じように、ぼくは絵文字を最初から
必要としていない。


スタンプなどは少し便利な気もする。


了解です!と何かのキャラが吹き出しから言っているようなスタンプ
あれなどはすごく便利だと思う。
ただこれも、スタンプで「了解です」と使えるのは
親しい人との間だけ。
さらに言えば親しい人なら「りょ」とか「おk」でも伝わる。
これに娯楽性を加えたのがスタンプになるのだろうけど、
僕には必要ない。 


この話、比較的に言うと男性の方がわかってくれるのではないか?
男性がチマチマ絵文字やスタンプなんて使わないよ!
僕は実はそう思ってた。


だが違う。


男性も結構絵文字やスタンプを使う。
僕はそれになぜか嫌悪感を感じてしまう。


「え!あのお堅い感じの人がこんなスタンプを!」


等と感じてしまう。


男性がスタンプを使って
イメージが上がる事があるのだろうか?
そう思っているのはスタンプを使っていない男性の僕だからか?


そんな僕もキーボードで文字を打っていると
「w」というマークは付けてしまう。


チャットなどをしていたから、
「w」=(笑)
としてよく使っていた。
そのくせか、ブログを書いている時も癖で
「w」を打ってしまう時がある。


以前良い男性の条件として、
「短パンを履かない男性」という話をしたが、
これも同じだと思う。
文面に「w」なんて使い男性は印象がいいのか悪いのか?


短パンを履いている男性が印象悪い訳ではない。
だが、履いてないに越したことはないのだ。


長ズボンを履いていて当たり前なのだ。


それと同じで
「w」を使わないのが当たり前なのだ。


そう思って「w」を使うのもやめた。


一つの文面にスタンプを選ぶ時間がどれくらいだろう。
それかける、文面の数。
時間も消してかかってるわけではない。


ミニマルな考えとしては少しへ理屈だが、
そんな考えの人もいるのではないだろうか?

ミニマリストになるタイミング、それは衣替え。身近なチャンスである

衣替えの季節は服を見直すいい時期だ。
ただただ夏物から冬物へ入れ替えるだけだと
いつもの衣替えと変わらない。
クローゼットやタンスの中がいっぱいの人は今がチャンス!
最小限の服で生活をしようと思っている人にもチャンス

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有意義な衣替えを。

収納ボックスご紹介! 

 

衣替えはミニマリストになるチャンス!

衣替えをする前の時期に着た服が
そのシーズンに必要だった服な訳だ。
今が秋ならこの前の夏に着た服、
それが自分の必要な夏服という事。
今の内ならまだ夏の間どんな服を着てたか思い出せるはず。
これらをリストにしておくと衣替えした後も何を着てたか思いだせる。 


ただ、クローゼットやタンスを見なくてもリストを見れば
何を着てたか解る状態にしただけだ。
このリストの中から、秋、冬、春と着れる服が
あるのかをチェックする。
もしあれば、それは一年中着れる服となるのだ。


一年中着れる服があるからと、
「そればかり着てろ!」というわけではない。
ただ、その服と同じような材質や形(長袖、半袖)を
買いかえればいいのだ。
マストの物として一年を意識して着る。
例えば、ジーンズなんかは一年中履いてても問題ない。


クローゼットやタンスの中の今シーズン着た服をリストにする。
今年来た服だけリストにするのだ。
そうすると今年着てない服というのが出てくるはず。
それはおそらく不要な服。
来シーズンはたして着るだろうか?
着ないと思ったらそれは処分対象になる。


要は今シーズン来た服が来シーズン、
その次のシーズンの「テンプレート」になる訳だ。
Tシャツ何枚、ズボンが何枚と枚数が決まる。
その枚数以上服を所持しなかったり、
その服と同じ素材、生地を次着る服として選ぶなど。
コレをする事により、迷わなくなり、余分に買わなくなる。


一年中着れる服が把握できて、
シーズン毎に着替える枚数が決まれば、
あとは冬の時期の防寒着だけを考えればいい。
アウター一枚でいいのか?
重ね着するのか?
それは各々の自由で制限することはない。
大事なのは「毎シーズン同じ枚数で過ごす」 


毎シーズン同じ枚数の服であれば、
買い替えが便利だ。
買い物をしてても「アレいいな」と思った時、
自分の所持している服が解らないと
余計な買い物だったり似たような服を買ってしまいがちだが、
枚数なども決まっていればこれ以上要らないという感情が強くなる。


僕は夏も冬もそれほど着る物が変わらない。
基本Tシャツで、肌寒い時期はカーディガンを着て、
寒くなればその上にアウターを着る。
上着だけで言うと、Tシャツ、カーディガン、アウターだけでいいのだ。
あとは枚数は洗濯の関係などで増やせばいいだけ。 


人それぞれオシャレの感覚って違う。
同じ色のTシャツを所持しても問題ない人もいれば、
沢山の色合いを所持しておく人もいる。
それは感性であり他人が口出すことはない。
ただ、どんな服を所持しているか?と
把握する事はオシャレにも通じるのではないだろうか?


どんな人にも言える事、
衣替えの時期は服を見直すいい時期。
服を最小限にしたい人や制服化にしたい人、
もっとたくさんの服を所持してオシャレになりたい人。
どの人にとってもいい時期なのだ。
何も考えず衣替えするのはもったいない

情報を広く浅く収取する事はいけない事なのか?それを音楽に例えた。

音楽の話を例にして話して行こうと思う。
音楽は常に新しい音楽が作られている。
作り方も色々だし、歌う人も色々。
でも名曲ってそれほどでない。
何千何万と曲は作られるが、
一年に一曲あるかないかの年もある。
好みもまたあるが、それでも名曲は稀だ。

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 コレクションも広く浅くか?

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広く浅くは悪いのか?

名曲は稀だが、
人が一曲作るのに
どれくらいの苦労があるだろう。
曲を簡単に作れるソフトなどもあるが、
作り手がこだわると、
何十回と録り直しする作業もあるだろう。
一曲の重みって
人が命を懸けてまで作ってるものもある。
聞き手がどれくらいそれを感じ取れるか。 


一曲を簡単に分けると、歌詞があり、
メロディーがあり、アレンジがある。
良い歌詞に共感され、
メロディーに心が踊り、
アレンジで驚きだったり感動を生む。
どれを中心に曲を聞くかも
また人それぞれだけど、
全部にスポットを当てると
どれくらい一曲を楽しめるか。


歌詞の意味を解き
自分の思い出や考えと重ねる。
メロディーには転調やテンポも
曲によって違う。
アレンジもどんな楽器で演奏してるのか?
何個の音で構成されているのか?
聞けば聞くほど色んな事が解る。
一曲で感じる事が何個もある。


シンプルなバンド構成でもヴォーカル、
ギター、ベース、ドラム。
一つ一つ意識して聞けば、
何回何十回と聞ける。
僕は楽器を軽く触った事があるので、
どうやればどういう音が出るか
少しだけ解るので、
聞けば聞くほど疑問に思ったり、
不思議に思ったりすることがある。


だから皆さんも、楽器を勉強して
一曲の音楽の深みを味わってみましょう。
という話ではない。
あくまで一つの一例だ。
数たくさんあるもの
すべてに目を通すのではなく、
一つの物になるべく
長く目をとめてみようというのが本題になる。


音楽を情報に変えてみよう。
情報も音楽と同じくらい
毎日発信されている。
たくさんある情報故に、
流し読みしてないだろうか?
流し読みが悪い訳では無い。
自分にとって大した情報でなければ
それでもいいが、
大事な情報を流し読みしてないだろうか? 


たくさんの数の一部を抜粋して
自分なりの情報に変える。
コレも一つの方法だが、
間違えて抜粋すると間違えた情報になる。
広く浅くか、
狭く深くか。
自分の生活に
どちらのタイプの情報収取が合っているか。
コレの見極めはしてもいいのかもしれない。


色んなタイプの人と話す職業、
コミニケーションを大事にする職業などは
情報を広く浅く取り入れたほうが
会話の引き出しが増えて自分にプラスになる、
一方専門職の人は
その専門にスポットあてて
深く追求する事で情報の質も上がる。


「広く浅く」「狭く深く」は
「質より量」「量より質」と似ている。
情報から食べ物の話に変えてみて、
いい歳した大人が
「食べ物は質より量なんだ」と
言ってしまうと
少しカッコいいのかどうなのか解らなくなる。
悪い訳では無いが、
広く浅く、質より量のスタイルに
重点を置くのを考えるべきなのかも 


一番良いのは広く深くだ。
なんでも広く深く自分に取り込める人は
「賢い人」となるだろう。
あの人何でも知ってる。詳しいし。って人、
テレビ見てても結構いる。
いるけど少ない。
広く深くってのは誰でも出来る訳では無く、
やはりどちらか選ぶ方が
良いのかもしれない。


音楽や情報の話から物の話に変えてみよう。
物だって手当たり次第所持していれば、
物が沢山の家になる。
厳選してないからだ。
量より質の物選びをすれば、
無理にモノを減らしたりしなくても
自然とミニマルな生活になる。


厳選する対象はいっぱいある。
音楽、物、情報、人付き合いなんかもそう。
人を厳選する要素はたくさんある。
それが出来る時代でもある。
なんでもかんでもと取り入れる事は
年とともに考えて行ってもいいかもしれない。

思い出捨てる前にやらないとダメな事がある。間違ったミニマリスト例

部屋の物を整理してったり、
減らして行ったりすると辿り着くのが
「思い入れの強いもの」思い出の品となる。
その物を見ると
「あの時。。。」
「あの人が。。。」と思い出す。
人は物を見て思い出せる。
これはすごく優れた機能であり、
時に邪魔な機能である。

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どうしても捨てたいものがあるなら

せめてデータ化。スキャナ紹介!

 

思いで捨てないとダメ?


よく聞く話が
「思い出の物を捨てれない」という悩み。
物を減らしていくと
今度は一つ一つの物に
所持の理由を見出す傾向にある。
今まであって当然だった物に対して
「これは要るのか?」と思い始める。
ある種少し行き過ぎた思考だが、
よくある話である。


思い出の品をどうやって整理するか?
まず、二択である。
捨てるのか残しておくのか?


では、
この捨てるか残すの判断って
どうやって決めるのか?
まず一つが
「いい思い出」なのかどうかが
大事になってくる。
悪い思い出の物であれば
捨ててもいいのではないだろうか?


悪い思い出の物を残しておくって事は
あまりないが、無い話ではない。
卒業アルバムなんかを判断する時、
学生時代いじめられてたんだなとか。
そういう思い出が強いのであれば
アルバムを手放しても
良いのではないだろうか?
僕は学生時代楽しい思い出ばかりだったので
アルバムは捨てない。


子供が学校で工作した作品などを
捨てるかどうか迷っているという人。
まず、子供のが作ったものは子供の物だ。
子供に聞いて要るという物は残して
要らないという物は捨ててもいいと思う。
判断が出来ない幼い子供の場合は
もう少し置いておいてあげてもいいだろう。 


そもそも部屋の片づけをしていき、
物を減らしていっている人の部屋は
結構片付いているはずだ。
子供の工作を補完するスペースなんて
たくさんあるだろう。
親にとってはガラクタでも
子供にとっては宝かもしれない。
また、子供の子供に見せる時が
あるかもしれない。
それはすごく価値のある事。


思い出の物に手を出す順番を
間違えている人もよく見かける。
まだまだ他にガラクタ、
捨てる物があるはずなのに、
思い出の物を捨てようとする。
ミニマル情報でよく見るのが
「卒業アルバムを捨てるかどうか」。
卒業アルバムを捨てた事が
ステータスみたいなミニマル業界。
まずそれが間違い。


思い出の物って結局思いが強いものだ。
物に思いが乗っかってるから
「思い出の物」になる。
そして思い出は歳を重ねると感じ方も変わる。
昨日あんなに思っていた人が
今日はそうでもないなんて茶飯事だ。
気持ちは変わるのだ。
今捨てるかどうか迷っているなら
その判断は明日にまわしてもいい。


捨てた物は帰ってこない。
コレをまず第一に考えて物の処分をする。
変わりが効くものはいいが、
思い出の物は捨てると帰ってこない。
その英断を今、
する必要があるのか?
本当に今その時か?
その決断はとりあえず、
まだ部屋に転がっているガラクタを
捨てたからでも遅くない。 


気持ちは心にあるから物を捨てていいんだ。
って思っている人は何の躊躇もなく
捨てていいと思う。
僕にはそれが出来ないので
大事な物は大事な所に保管して、
頃合い見て引っ張り出して思い出に浸る。
この何とも言えない心の締め付けというか、
感情はきっと自分にプラスになるものだ。


思い出の物は自分のプラスになる。
今は何とも思ってなくても
ある時見たら
勇気が湧いてくる物もあるかもしれない。
物にはそういう力もある。
物はただの物質ではない。
要らない物を残しておいてくれたから
今観光地になったり文化遺産になった
建物もあり、
それを見て心揺さぶられるのも事実。 


要らない要らないとhighになって
思い出の物を捨てる事だけはやめた方がいい。
SNSなどで捨てた物をアップしている人も。
自分のペースでなく物を捨てる事もある。
落ち着いて、よく考えて、物は捨てるべきだ。
あわてないあわてない。

ネットの情報は正しいのか?他人ブログの記事はどこまで正しいのか?

僕は人の事を信用できない。
そう言ってしまえば子供の頃に
何かあったのか?という
イメージを持つ人もいるかもしれないが、
少しだけ言い変えると
「人の言う事を鵜吞みにしない」
というと少し共感してもらえる人も
いるかもしれない。

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 ダイエットグッズをどう使うかはあなた次第!

 

ネットの情報は誰が書いている?


このブログでも僕がよく言ってている
「他人の情報を鵜吞みにするな」。
なぜどこの誰か知らない情報を
鵜呑みにして取り入れようと思うのだろうか?
その情報がウソかもしれない。
そう疑う事はないのだろうか?
情報発信者の何を根拠に
その情報を信じているのだろうか? 


よく聞く話だが
「女優の●●もやってるから私も始めた」
とか最近だと
YouTuberの●●が。。。」
その女優やYouTuberってなにもの?
その道の専門家?
それならまだ百歩譲って
信じてもいいかもしれないが、
どこの誰がやっているからとマネする。
こんな不確かな事があるだろうか?


ダイエットなんかもそうだ。
「●●さんは〇〇ダイエットをして
5キロ痩せました。」
この文で注目するのは
「誰が」「何をして」「どうなったか」
この三点である。
まず、この三点のポイントで
どれに注目するか?
5キロ痩せましたに
真っ先に食いついてないだろうか?  


情報を鵜呑みにしてマネをする。
結局これ、
楽してるだけ。
誰かが成し遂げた事を
「横から拝借しまーす」と
自分の所へ持って帰りどうにかする。
悪い訳では無い。
悪い訳では無いが、
その持って帰ってきた物が
腐っててそれ食べてお腹壊したら、
結局痛い目を見るのは自分なのだ。


世の中の情報を信用し過ぎている。
そう思わないだろうか?
YouTubeやブログ、
発信者はハッキリ言って素人、
ドが付く素人かもしれない。
ひょっとしたら殺し屋が
健康法を語ってるかもしれない。
そんな訳の解らない情報を
よく鵜吞みにしようなと思う。


じゃ~僕のブログはどうなんだ?
僕の語る情報も所詮素人の情報だ。
ハッキリ言える。
ただ、情報を鵜呑みにする人がいる限り、
情報発信という商売は成り立って行く。
こういう記事、情報を
仕入れる側が選ぶという権利があるので、
よく考えて、情報を自分の物にしてほしい。


こうやってYouTubeやブログで
情報を仕入れる事は無駄なのか?
そこまで言ってない。
先ほどから鵜吞み鵜吞みと言っている。
情報を鵜みたいに飲みこまず、
ちゃんと咀嚼して栄養にするべきだという事。
情報は一度咀嚼するべき。


情報を鵜吞みではく、
ちゃんと咀嚼する。
他人の情報を一度疑い、
理解から疑問に思い、
答えを出す。
答えが出れば自分に
合っているのかどうか試してみる。
それくらいやってもいいと僕は思っている。
ここまでやっていれば
素人の情報だろうがプロの情報だろうが
関係ない。


情報をキッカケにするのだ。
情報は答えではない。
素人の情報だろうが、
専門家の情報だろうが、
キッカケにしかならなければ、
誰の情報でも良い。
騙されるわけでもなく、
情報から自分のキッカケを作っただけ。 


結局何が正しい情報なのか?
それは自分が経験した事が正しい情報なのだ
赤信号を渡ったらどうなる?
他人の情報だと
「あぶない」というだけかもしれないが、
実際に渡ってみないと解らない。
意外と平気かもしれない。
事実信号無視している人はたくさんいる。
もちろんダメな事だけど。


自分に合った情報は自分から発信される。
経験や自分を実験台にしたり、
それが一番確かな情報なのだ。
ご飯を抜けば痩せる。
食べれば太る。
じゃ~どれくらい食べれば太らないか、
痩せていくか、
やればわかる事じゃないか。
他人の情報は所詮他人の情報。

外食でのお店選びで悩むなら、同じ店に毎度行くのも一つの方法だが。

必要最小限主義にとって外食は大事なんではないだろうか?
完全自炊と完全外食と極端に比べてみると、
完全外食の方が食器や調理用具、調味料も要らない。
必要最小限主義と現代社会の恩恵を受けて生活して行く人でもある。
外食産業もうまく活用するのがベスト

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 外食で迷うなら家で食べるという選択も

テーブルクロスご紹介!

 

優柔不断の理由

効率的な人がよく言うセリフ
「迷う時間がもったいない」
このために、服の数を少なくしたり、
制服化したりして選ぶ作業を省いて行く。
外食もそういう人が多い。
ココのお店に行き、アレを食べると決まっている人がいる。
もう何が何でも迷いたくない訳だ


僕は一人で外食する場合は店選びやメニュー選びは迷わないが、
家族と行くとどうしても迷う。
本当は迷いたくないのだが、
この迷う事も一つの楽しみでもある。
そう思うしかないのだ。
本当は迷いたくないのだ。
だから、ある程度場所ごとに
「無難なお店」はリストアップしてある。


必要最小限な生活をする人は社会の恩恵を受けて成り立つものでもある。
だからクーポンなどの利用方法も上手だ。
クーポンがあるお店を選ぶという方法も選択手段として使える。
いい大人がクーポン使うのダサイ?
そもそもミニマルな人は同じ服ばかり着ている。
ダサイのは平気なのだ


お店選びの選択肢として
「キャッシュレス対応のお店」を選ぶ事もある。
ミニマルな人はキャッシュレスが大好きだ。
早く現金を持たないでキャッシュレスだけで
すべてを済ませたいと思っている。
そうするとスマホのケースに
お金を挟んでおくことも無くなるからだ。


キャッシュレスでお店選びはいいかもしれないが、
すごくおいしい、自分が食べたい料理を出すお店が
キャッシュレス対応してない時、
仕方なく現金を用意して行かなくてはならない。
「老舗のお店」なんて
いつまでもキャッシュレス対応しないかもしれない。
その間はずっと現金が必要になる 


何人かと集まって外食する場合、
キャッシュレス大好きな人が主導権を取って店選びや会計方法を選べればいいが、
そうじゃない場合も現金を用意して行かないとダメだ。
いくら用意する?
1万円一枚で足りるか?
足りない度にコンビニでお金下すか?
みんながみんなLINEPey持ってるわけでもない。


キャッシュレス対応のお店って、
今の所はチェーン店などが多く使われているが、
個人店ではまだ普及していない感じだ。
個人店はずっと現金商売をしてきた。
現金ありきの商売をしている。
このこだわりみたいなのが邪魔をして
なかなかキャッシュレス化できないところもある


すべてのお店がキャッシュレス化しないと
完全キャシュレス生活なんて難しい。
いつかどこか思わぬところで現金って必要になる訳だ。
その「もしも」というのがキャッシュレスな人にとって不要な物なのだ。
「もしも」という思考を省くために必要最小限主義になった人もいる。 


僕も個人経営だが、
今の所キャッシュレス対応をするつもりはない。
当店にお越しの際は現金を用意してきてくださいと言わないが、
強気の対応をしている。
これがあと何年後に吉と出るか凶と出るかは解らない。
ある種必要最小限主義の僕が
キャッシュレス化の邪魔をしているようなものだ 


ミニマルな人と外食は相性がいいと思ったが、
外食よりもコンビニで買って食べる方が良いのかもしれない。
コミュニケーションが苦手なミニマルな人も多いと聞く。
大好きなミニマルな部屋で一人で
好きな格好でお弁当を食べるのが一番なのかもしれない。
コンビニキャッシュレス対応だし。

ミニマリストの備蓄に文句言う前に、自分の保険は完ぺきかを見るべき

このブログを書いたのは2019年10月12日。
台風19号が今にも関東に上陸するかどうか?
という段階で書いている。
台風が来る前日はスーパーに非常食を買いに行く人たちであふれた。
どれくらいの量の非常食を買うのかは人それぞれだ。
あなたはどれくらいの食糧を買っただろう?

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 非常食紹介!備蓄は大事!

 

ミニマリストと備蓄

 


非常食を買う時に何を基準にして買うか?
たとえば3日間の非常食を買うとすると、
一日三食、毎回お腹いっぱい食べれるほどの食糧を備蓄するだろうか?
これをしてしまうとかなりの量になってしまう。
家族が多ければその人数分増える。
いったい非常食はどれくらい買うのが最適なのだろうか?


今回の台風でテレビなどでは「非常食の目安」なども放送していた。
あくまで目安だ。
僕が見た限り非常の多いなというのが印象。
これもまた僕の印象などで見る人が見たら
少ないと思う人もいるだろう。
ちなみに水は一日3リットル用意するというのが目安だった。


台風と少し話が逸れるが、
もし日本に核ミサイルが飛んできた場合、
放射能が薄れるまで
4日かかるとかいう話もある(詳しくはネットで調べてほしい)
そうなると14日分の非常食が必要になる。
備蓄部屋みたいなのが無いととてもじゃないけど備えられない。
人は何を目安に備蓄しているのだろうか?


一日三食お腹いっぱい食べる程の非常食なのか、
3日をひもじい思いをしてでも「生きれる」ほどの
非常食なのかで全然量が変わってくる。
一日に水とカロリーメイト1箱、
これを3日続けると死ぬだろうか?
3食おなかいっぱいの非常食とカロリーメイト一箱の差は大きい。


生きていく上で必要なエネルギーってあると思う。
もちろんエネルギーだけじゃなく、栄養などもある。
たとえばだ。
先ほど言ったカロリーメイトなど
栄養補給食みたいなのを食べれば、
同じ分量のおにぎりを食べるのとどれくらい変わるのだろうか?
栄養補給食は日持ちするが、おにぎりは日持ちしない。


保管期間も考えなければならない。
できるだけ日持ちするものが非常食として使われる。
あとは調理がいるとかいらないとか。
これらの条件をまとめていくと
「これだ!」という非常食があるのではないだろうか?
これは人や家庭によって発想が変わってくると思うが
思いつくものがあると思う


ココから自分が今まとめた条件で
なにを非常食とするのかシュミレーションしてみる。
あくまで僕のシュミレーションだマネはしないでもらいたい。
あくまで参考だ。
僕の非常食をみて「これはダメだ!」と思ってもらっていい。


まず水が必要だ。
一日に2ℓの飲み水を用意する。
2ℓのペットボトルだ。
あとは食糧だ。一日三食用意する。
まずはカロリーメイト一箱、つぎにチップスター
あと一食は板チョコだ。
これで水分と三食用意できた。
どうだろう?
一人分の一日の非常食だが、多いだろうか?少ないだろうか?


2ℓのペットボトル。カロリーメイト一箱。
チップスター。板チョコ一枚。
誰もがみんな想像できる大きさのものだ。
一日の非常食としてこれだけ用意する。
これを家族分用意する。
そして日数分用意する。
どれくらいの量になるか想像してもらえるだろうか?
わずかな非常食でもかなりの量になる。 


結局、非常食って「完璧には備えられない」という事だ。
必要最小限主義の人は備えなど用意してないから大変だろう?
と言う人はどれくらい完璧に備蓄をしているのか?
家が災害にあった時のために保険など完璧に入っているだろうか?
備えに完璧はない。

ミニマリストが選ぶゴミ箱。目に見えない場所における物や、スリムな形状のゴミ箱紹介

どんなにぶっ飛んだミニマリストであっても、

生きている限りはゴミは出る。

生きるという事は消費する事。

消費すれば小さかれゴミは出る。

今日はミニマリストが選ぶ、ゴミ箱の紹介。

ミニマリストにゴミ箱は必要か?

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そう思っているこれからミニマリストを目指す人、

一度ゴミ箱のない生活をしてみてはどうだろう?

生活ができなくはないが、

それが果たして快適な生活なのだろうか?

物が少なく、快適な生活を送れなければ、

ミニマリストになる意味はあるのだろうか?

意味のない事をする事がそもそも「無駄」じゃないか?

とりあえずスリムなゴミ箱

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ゴミ箱を設置すれば、自由に使える床面積は

少なくなるだろう。

そうなればなるべくスリムなゴミ箱が良い。

ゴミ箱がない生活を考えているのであれば、

ゴミ箱は「とりあえずゴミを入れておく場所」

という考えで利用すればいい。

そういう使い方であれば、このような商品で十分だ。

匂い漏れしないゴミ箱

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一人暮らしのミニマリストは割と狭い部屋に住んでいる。

1Kとかの部屋に住んでいる人も多いんじゃないだろうか?

そうなるとキッチンと部屋の仕切りがなく、匂いが気になる物も多い。

そういう場合、匂いを防ぐことも大事だ。

蓋つきのゴミ箱も必要となる。

要らない物を買うわけじゃない、必要な物を買うのだ。

ミニマリストとしては反していない。

自動で開閉するゴミ箱

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衛生面が大事な時期、なるべくゴミ箱を触りたくない。

ひとり暮らしならば自分だけのゴミだけど、

家族となると色んな所から帰ってきた人たちが触るもの。

自動で開閉するゴミ箱はコロナ感染対策にもなる。

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自動ゴミ箱で衛生面を上げていく。開閉が自動だと触らなくていい物も増える。コロナ禍にピッタリ。 - desupapa・secondary

開閉が特殊なゴミ箱 

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開閉するゴミ箱って大体上へ開くと思う。

そうなると上に面積も必要になるが、

横へ開閉するゴミ箱は

上の面積、スペースを気にしなくていい。

例えば机の下とか、棚の中とか。

ゴミ箱を目に見えない場所に置きたい人は

こういうゴミ箱を勧める。 

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こういうのも良いと思う

ゴミ箱は置かないとダメな物

大きい小さいはこだわらない。

ゴミをちゃんとゴミとして認識して、

ゴミを置く場所をちゃんと作る。

その場所が貯まればゴミを回収してもらい、

またゴミのない生活からスタートする。

ゴミ屋敷になった人はおそらく

その工程を怠ったのだろう。

実はゴミ箱は生きていく上で

非常に重要な物なのだ。