「なりそこない」がちょうどいい!

シンプルで効率の良い生活について書いてるブログ。

人が変わったかのように豹変する人へ。本当の人格は一体どれなのか?

気持ちを抑える事は
良い事なのか悪い事なのか?
実はそれって結構みんな分かっているはず。
気持ちを抑えて生活しているから
ストレスだったり、欲求不満だったり
息苦しい社会を生きている。
だからって気持ちのままに生きていれば
赤ちゃんと同じだ。
さてどうしたものか?

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 本当の自分を隠していると?


気持ちのはけ口だったり
発散する場所が必要なのは
これも当然みんな解っている事。
でもそのはけ口って
どこなのかわからない人は結構いる
人に対して吐き出すのか?
物なのか。自分になのか?
このコントロールをうまくできれば
割と生きやすい社会になるのではないだろうか? 


喜怒哀楽、感情はこの4つに大きく分けられる。
この感情を何の摩擦も無く出せる人が
天真爛漫という事か?
天真爛漫な人はかわいい。
大人子供、男女関係なくかわいい。
自分もそんな人間になりたい。
結局は感情や気持ちのコントロール次第。
正確なコントロールはできなくても
何か方法はあるはずだ。


目にしたことはないが、
エレベーターで一人の時
大声を出してストレスを発散する人がいる。
この行為で何か溜まっていたものが
抜けるのか?リセットされるのか?
でもこれをする人にとっては大事な行動なのだ。
これで気持ちがコントロールでいるなら
思う存分してもいい事だと思う。
こういう事を探していけば楽に生きていける。 


僕も比較的穏やかな性格だ。
穏やかと思っているが、
実は穏やかではなくて、
穏やかを知らず演じているのかもしれない。
自分で知らずに。
そう思い先日、わざと怒ってみたのだ。
何にもないところでは怒らない。
子供に対してそこまで怒らなくていい事に
怒ってみたのだ。気持ちがなんとなくスッキリした。


怒らなくていい事怒っては
怒りをぶつけられた人もたまったものじゃない。
多少、怒らないとダメな人に
いつも我慢している分吐き出してしまう。
リミッターを外すというか、ちょっとわざと
感情以上の行動を起こしてみる。
実は感情以上の行動と思っていても、
それが本当の自分の感情なのかもしれない。 


感情を出したり、表現したりするのが
苦手な人が何かしら溜まっていくのかも。
普段から大声だしてる人は
出してない人より発散できているのかもしれない。
かもしれないだが、
かもしれない。
やってみないとわからない。
怒る事を探さなくてもいい。
喜ぶことを見つけて必要以上に喜ぶでもいい。


オブラートに包んでいる自分を
少し開放してみようという話になってくる。
性格を変えていこうという話でもない。
自分の気持ちや考えで遊んでみようという感じだ。
普段思っても口に出せないことを
出していこうという事。
それができるのが実は
ツイッターでもある。
みんなツイッターでは好き勝手話してる。


普段の生活に
ツイッターのようなシステムを
導入していこうという事。
ツイッターは所詮ツイッター
匿名だったりするし、
みんなが見ているようで
誰も見てなかったりする。
匿名でなく、自分自身がどんな事を思っているか
思いっきり表現するのだ。それは本当の自分だから。


結局我慢しているってこと。
喜怒哀楽を我慢して
ポーカーフェイスで過ごしている。
自分を強く見せているのか
そんなことをしていては疲れるだけ。
人でもいい、物でもいい。
本当の自分を見せれる人がいれば
それは最高な事だ。
ガス抜きみたいに自分を出してみよう。

究極のお金の増やし方、究極の体重の落とし方、究極の・・・方法とは

お金があるからお金使っちゃうわけですよ。
お金ない人はお金使えませんから。
使いすぎちゃって困る、なんてのは贅沢な悩み
でもやっぱり無駄使いってのは
お金持ちの人でもそうでない人にとってもいらないもの
無駄使いもやっぱり無駄にお金を持ってるから使っちゃう
もう何言いたいかバレそうなので結論から言うと 

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水筒にお茶持って行こう。

 

 

究極の方法

 


やっぱり使う分だけ持ってれば無駄な出費をしない訳ですよね
子供に大金持たせると、まぁ見事にいらない物を買う事が多い
だから親戚からもらったお年玉は親があずかるわけですよね。
預かると言って完全に親のお金にされてしまった御家はさておき 


出時、お金をどれくらい持って歩くか、
これも生活の仕方によって変わると思います
仕事行っても、タバコもお弁当だから食費も使わない
帰宅も寄り道しないで帰る人もいれば


いつ何時、飲みの誘いがあるかわからない
急に奥さんに買い物頼まれるかわからない
お小遣い制だからもらったお小遣い全部財布に入ってる


色んな人がいると思います。
みんな出かけるときは一万円だけ持って歩きましょう
なんて言っても多いと思う人とも少なく思う人がいると思います。
さて、どうやれば余計なお金を持たないで生活できるでしょうか
これはもう本当に節約を目指してる人だけのお話にしましょう 


一回お金持たないで歩けばいいのです。
極論言っちゃった感じがしますが、
お金は持ってもいいとしても、使わないでどれだけ大丈夫か
一度やってみるのです、一日でもいいし一週間でもいいし


朝出勤、コンビニよって缶コーヒー。
お金ないから飲まない。
お昼ご飯はお弁当にしてもらってるから
お金は使わないでいい。


急に飲みに誘われた!
お金がないからとは言えないけど、
用事があるから出席できない
(続けると付き合いがなくなりそう)
家に帰る前のコンビニによらない


どうですか?出来そうですか?


まったくお金を使わないことができたら
そこを基準にして
やっぱり、この場面には使いたいな。
って言うのを足して行けば
どのお金が必要なのか、そしてどれくらいの金額を持てば
困らないのかが解ってくるはずです。


やってみる勇気がりますか?

先を見据えて準備を整える事はストックを持つこと。それはミニマル?

夏の間は衣類なども薄着で、冬服と比べると
1/2、1/3くらいの布面積で済んでしまう。
クローゼットや洋服棚の中にスペースもある。
夏の間は過ごしやすい時期というわけだ。
だが、
これから寒くなってくると上着を一枚、
手袋をはめるなど物が増える時期 

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 インナーご紹介!

インナーは年中着れるようなものを選ぼう!

 

先を見据えて準備をする

季節の変わり目は生活の変化に伴い、
何か新しい事をしたいなと思う。
寒い時期から夏に向けてするダイエットなどそうだろう。
「変わらなければ!」と思う項目は、
さっきまでの季節に自分が怠った事が次の季節へ
持ち越されたという事なのだ 


季節の変わり目に「○○しなければ!」と思わない生活が
出来ているという事は、季節に関係なく、
怠りが無い生活をしているという事だ。
だが、こんなにキッチリとした生活をしている人が
世の中にどれくらいいるだろうか?
トップアスリートでも数えるほどしかいないだろう


季節の変わり目を理由にするのは悪い事ではない。
新たな時期が来るにつれ、
あたらな気持ちで生活しようと思える事はイイ事だが、
これを今まで生きてきた中で何回感じただろうか?
なんか「来年こそは!」と思って新年早々色んな事を
チャレンジしてきただろうか?


「次の季節こそは〇○になりたい!」というチャレンジ、
今年こそ最後のチャレンジとして達成させたいものだ。
そうするために今までと同じことをしててはダメになる。
さて、どうすれば今回こそ最後のチャレンジとなるだろうか?
「どうすればどうすれば?」と考えているうちに終わる可能性もある。


暑い時期から寒い時期に変わる。
この時期の行動の差が大きいと生活のスタイルの差も大きくなる。
夏はシャワーだけど、冬は湯船につかる。
夏は暑いから油モノ料理しないけど冬は料理する。
季節によって生活が変わるのは当たり前だが、
この差を意識して一年過ごすと季節の変わり目に強くなる。


暑い時期はTシャツ一枚でよかったけど、
冬に向けて長袖のインナー、セーター、
アウター、インナーの中にもう一枚ヒートテック
これほど着る物に差が出ると生活の中も物も大きく変わる。
例えば、夏場に来ているTシャツに
アウター一枚羽織るだけではダメだろうか?
寒いが、これも一つの手段だ。 


季節の変わり目に、「アレしなきゃ、コレしなきゃ」と
慌ただしくなる。そのテンションにつられて、新しい事を始めよう!
この季節こそアレをやってみたい!と
テンションつられたのまま行動をして結局続かない。
これは無駄となるのか、
「そういえばそんな事もやってたな」と思い出になるのか?


毎回季節の変わり目にダイエットするんですよ!と
季節の変わり目恒例のイベントとして、
毎回ちょっとダイエットして続かないのも
それはそれで一年のメリハリがあって面白いかもしれないが、
どうせなら一年続けれれば願ったりかなったりだ。
どうすれば年間変化の無い生活を送れるか


夏に冬に備えた生活、冬に夏の備えた生活をする。
たとえば、インナーはいつも7分丈にしておく。
これだったら夏に着ても冬に着てもどちらでも見栄えは変わらない。
短パンは履かないとか、サンダルは履かないとか。
服装一つでも簡単にこれらが思いつく。
衣類じゃなくて、行動にでもあるかもしれない


Tシャツの時の鞄と
アウターモコモコの時の鞄を持ち替えてたりしてないだろうか?
Tシャツだと肩まわりがスッキリしてるのでリュックだったりするが、
アウターモコモコだとリュック背負うのに
窮屈だから肩掛け鞄に変えたり、
服装によって持ち替える物も同じにしてしまう方法もある。


暑い時期と寒い時期の生活をあまり変えない。
全く変えない事は難しいと思うが、
年間通して意識してみると
季節の変わり目に楽になると思う。
夏支度、冬支度、これらは結構めんどくさい事だし、
工夫をしないと気持ちよく新しい季節を送れない。
一年間使用する物を意識してみよう

「好きな事を仕事にしたい」と思う前の考えておかなければならない事

出費を抑えて、収入を減らすという生活スタイルがある。
ミニマル界隈でこれらをしている人もいる。
収入を減らすという事は仕事量を減らすという事だ。
仕事量を減らして、自由な時間を増やす。
最小限主義の人は収入を減らし、出費を減らし、
自由な時間で何をするのか? 

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 好きなことを仕事に出来るYouTube

まずは撮影用の三脚から!三脚ご紹介!

 

好きな事を仕事にするという素敵な言葉

生きていく上で必要なお金ってどれくらいかは人それぞれ。
食事の量が変わればそれだけで食費が変わってくる。
欲に対する出費も人それぞれ変わる。
ハッキリとこれくらいですと
金額を出されてもそれはその人の金額設定なので
あまり参考にならない。
よその家庭の食費なんてどうでもいい。 


僕はあまり生活水準を落としたくはない。
だからと言って無駄な物をなんでも買うわけでもなく、
必要な物だけ買っている。
だから生活水準を落とすという事は少し理解できない。
出費を減らすという人はそれまで
無駄な出費をしていたのだろう。
当たり前の事をしているだけだ。


仕事の質や量を減らして収入を減らすというのも良くわからない。
今までの仕事を辞めて
自分の好きな事を仕事にするというのが目的なのだろうけど。
一体どれだけの人が好きな事を仕事にできるのだろうか?
そしてその好きな事は本当に仕事になっているのだろうか?


自由な時間がたくさん作れたからと言って、
使えるお金も少ない。何をするのか?散歩?筋トレ?
そんな事がしたいから仕事を辞め、出費を減らし、
自由な時間を作るのか?
趣味を趣味として楽しめないで仕事にする。
それって本当にいいのだろうか?
趣味としての楽しみがなくなってしまわないだろうか?


仕事をやり遂げた時の達成感やそれに対しての報酬。
これって素晴らしい物じゃないだろうか?
仕事仲間と力を合わせ、一つの結果を残し、
辛かった仕事も実になる。
池井戸潤原作のドラマなんか見てて心が揺さぶられないだろうか?
ドラマ見て「あ~こんなの嫌だな」って思うのか?


「仕事を辞める」という事はその仕事が「嫌い」だから辞めれるのだ。
好きな事を仕事にするなら今の仕事を好きになれば一番早い。
そもそもなんで今の職業に就いたのか?
最初から好きな職業についておけば
今更仕事を変えなくてもよかったのだ。
結局は今までの選択ミス、力量不足なのだ。 


生きていく上で必要なお金なんて自分では決めれないと思う。
自分の力量を発揮できる場所があり、
その力量に対する報酬をもらう。
その報酬に合った生活をする。
難しい事じゃないと思う。
「仕事以外で何をしたいか?」という考えじゃなく
「仕事以外で何ができるか?」なんだ


今の生活に悩んでいる人の大半は「お金」の悩みだ。
自分が「自分のお金」として使える金額と仕事量、
仕事の質、使える時間などが見合わないから悩むのだ。
「仕事量、仕事の質」を改善する前に
「自分のお金」を確保できるように仕事に専念すれば
それでいいんじゃないだろうか?
単純な発想だ。


お金の悩みは永遠のテーマだ。
お金で悩まない人なんていないと思う。
報酬が沢山あればあったで見合った生活をするだろう。
報酬が少なければ少ないなりに見合った生活をする。
結局見合った生活は送れる。
報酬を下げる必要があるのだろうか?
働きたくないを正当化してるだけじゃないだろうか?


僕は「好きな事を仕事にする」というのがあまり好きではない。
なんだかそれをスローガンの様に叫び、
社会から逃げている様にもみえる。
そうじゃないと思うが、
一体どれだけの人が「好き」を「仕事」にしているのだろうか?
本当にその仕事が「好き」のままでいれているのだろうか?

物を捨てなくなる事に快感を求めてしまうと、物を捨てる本質を見失う

捨てる事に快楽を感じる傾向がある。
物がたくさんある部屋を片付けていき、
物を捨てて、
スッキリしていく様は確かに気持ちいい。
だけど何を思って捨てる物をチョイスするか?
それすら考えずただひたすら物を捨てる人もいる。

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捨てる事でハイになってはいけない



ゼロからスタートするために物を
捨てる人だっていると思う。
これまた悪いわけではない。
それなりの決心があるからゼロスタートをする。
なんとなく物を捨てて
喜んでいるのとはわけが違う。
そもそもゴールもスタートも違うのだ。 


物を捨てる重みを感じているかという事になる。
家にたくさん物がある、
その物はそもそも自分が買い集めたものだったりする。
自分の責任の結果の物だ。
その物をなにも思わず
捨ててしまっては
おそらくまた空っぽになった部屋に
物を買い足していくであろう。


人生にも波やリズムがある。
すごく忙しい時期があったり、
生きていくことが上手くいかない時。
今家にあるものは自分の感情が
どういう時にあったのか?
ここをよく見つめなおすと、
自分の人生の波の傾向がわかってくる。
これが分かれば
今度同じようなものを買う時に
ストップがかけやすい。


生きていく上で買い物は絶対ついてくる。
物少なく暮らしていても
買わないと駄目なものだってある。
もう物買いませんってならない。
人は買って生きてる。
買えば増えるのだ。
物少ない部屋にするのは簡単だが、
それをキープするのは減らすことよりも難しい。 


自分が買い集めた物だけが
部屋にあるわけではないと思う。
例えば家族と一緒だったり、
親が残していった遺品など。
これらは自分の物と考えてはいけない。
あくまで他人の物だ。
他人の物に頭を抱えてはいけない。
これらをどうやって捨てれるのか?と
考えたい辞典でドツボにはまる。


何でもかんでも捨てるなという事だ。
捨てる事とは結構重罪でもある。
もったいないという教育をされてきたのに、
それをないがしろにする行為でもある。
捨てる物を責めるのではなく、
買った自分を責める事が
本来の筋ではないだろうか?


捨てるという判断すら
合っているかどうかも解らないのに
とりあえず捨てるなんて、
と言って「そうだな」と思う人と
「そんなの関係ないよ」と思う人、
どちらが正しいかは各々の判断だ。
ただ、僕が思うに捨てる事は正義ではないという事。
仕方なく、ごめんなさいという気持ちが
あるかどうかという事。


こんなもの捨ててやったぜ!と
捨てた事を自慢しているようにも聞こえる。
中には「捨てる」という言葉を使わず
「手放す」という言葉を使う人もいる。
自分の気持ちが楽になるのか、
でも結局それも自分への甘えだ。
都合がいいなとも思う時がある。 


捨てるなとは言わない。
僕だって物は捨てるし、
捨てる時に物に対して「ごめんね」なんて言って捨てるわけではない。
でも僕は捨てる事を真っ先に考えず、
その物に対して移転先を考えてあげる。
ここでは用事はないけど、
どこかで用事がないか?
それを探してあげるようにはしてる


今の時代はメルカリやヤフオクなどで出品すれば
誰かがその物を必要としてくれる人もいるだろう。
何でもかんでも捨てるより良いと思う。
もったいないという気持ちがたくさん出てはいけない。
昔ながらの日本人の基礎となるもったいない。
これは忘れてはいけない。


捨てる事をノルマにするのもどうかと思う。
なぜ、捨てる物を探さないといけないのか?
何か期限でもあるのか?
引っ越しまでにとかなら解るが、
わざわざ捨てる物を探す必要はないだろう。
捨てる事中心に考えてはいけない。

毎日苦痛の料理。なぜ料理が楽しくないのか?料理を楽しくする方法。

生きていくうえで欠かせないのが
食べるということ。
色んな事を我慢しても
食べることだけは我慢できなかったり、
我慢してはいけなかったり。
必要最小限な生活を過ごす人たちは
食事とどう向き合っていっているのだろうか?

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なぜ料理が楽しくないのか?

僕もミニマルな生活を過ごしている。
食事はどうかといえば、
食事もできるならミニマルにしたいと思っている。
僕は結婚をしているし、料理を全くしない。
出された食事を食べているので作る工程で
無駄を省くという事はしない。


料理を作らない僕はどうやって
食事をミニマルにしていくか。
それはできるだけ一日一食を心掛けるようにしている。
作ってくれる人に「一日一食でいいよ」と
お願いするくらいしかない。
でもそれは作る側にとってすごい楽らしい。 


一食でいいよとは言ったものの、
うちには子供もいる。
子供はしっかり3食たべるので、
作る人は完全に一食とはいかないようだが、
夜作った料理を僕が昼に食べるので、
一食を子供の夕食と僕の昼食と
分けただけなので料理の工程は
それほど増えない。


食べるだけの人の話なので
作る側はどうやって料理作業などを
ミニマルにするか?
まずなにより僕のように
食べる側の協力も必要だ。
作り手が楽を求めていても食べる側が
手の込んだ料理を求めていれば
それはただの行き違い、
どちらの感情も
分かり合えないただただもめるだけだ。 


料理のレパートリーって
どれくらいあるだろう?
一週間周期で同じ料理を作るとしても7品。
一か月だと30品くらい。
実際そこまでレパートリーってあるだろうか?
まず自分のレパートリーの数を把握してみよう。
レパートリーが多いほど料理道具や調味料が増える。


レパートリーが30品あっても
全部が全部違う味ではないはずだ。
煮物なども味付けは同じで
具材が違うだけの料理もある。
料理のレパートリーを把握したら
今度はカテゴリー別に分けてみよう。
和洋中とかじゃなく、
料理の工程などで分けていくと
調味料の分別などもできる。


具材などは買ってきても
使い切ってしまえば邪魔にならないが、
調味料や器具はずっと残るもの。
使う頻度が少ないものを確保していれば物は減らず、
場所だけ残り、キッチンが狭く感じ、
キッチンに立つのが苦痛になったりもする。
そういうところから快適を目指すのだ。 


調味料で勝負するとたくさんの調味料がいる。
具材で勝負すれば調味料はそれほどいらない。
使う器具も減らす事を考えていけば
また別目線の料理メニューも思いつく。
包丁を使わない料理なんてのも
ネットで見ればたくさん載っている。
結構楽はできるものなのだ。


もっと楽を考えると、
食器にへばりつくような料理を作らないとか。
洗う手間が省ける。
食器も割れることを意識すると手間だけど、
割れない食器に変えれば食器を洗うストレスも減る。
メニューを考えるのが面倒であれば、
あらかじめ一週間などのメニュー表を作っておくなど。


今の生活から何かを変えようと思うと
すごくエネルギーを使い、
めんどくさい事もたくさんあるが、
乗り切ってしまえばその先に楽が待っている。
これができる人とできない人で差があるので
ミニマルなんて、って思う人が多いのだ。
ようはやってみようなのだ。

楽して儲ける方法をどれくらいの期間行うか?そこまで考えているか?

楽をして儲けたい。
誰しもが思う事だ。
楽をして少ない報酬でミニマルな
生活を送るという人も多いが、
それは正しいのだろうか?
間違っているともいえないが、
しっくりこない人の方が多いと思う。
汗水流して仕事するという昔ながらの考えは
今はもう通用しないのだろうか? 

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楽して儲ける方法とは?

 


「AIに仕事を取られる」。
雑誌などであと何十年もしたらAIに仕事を
取られるリストなどが上がっている。
それを見て「大丈夫だろう」と思っている人は
少し周りをよく見てほしい。
確かに昔から見る店舗だったり職業が無くなっている。
危機感を持つべきだ。


AIに仕事を取られた場合、
次は違う業種を探さなければならない。
自分には何ができるのだろうか?
仕事の量が減れば当たり前のように仕事に就けない人も出てくる。
競争相手が増えるというわけだ。
自分の力量は競争相手に勝てる程の力量なのだろうか?
今のうちにスキルアップが必要になる


youtuberなんかもすごい数で増えて行っている。
ここ何年かで爆発的に増えた。
僕だって始めたくらいだ。
誰でも簡単になれるyoutuber。
昔は一人勝ちで来たジャンルも日を増すごとに
競争相手が増えてくる。
これにもいえる。
競争が激しくなってきた時に競争に勝てる力量なのか?


社会での競争に負けるとどうなるだろう。
就きたい仕事に就けなくなったり、
就いたとしても賃金が少なくなったり。
「楽して儲けたい」と思っている人が競争に負けて
「苦労して儲けないとダメ」になる可能性は大きい。
今のうちに出来る事はなんだろう。
今のままでいいのだろうか?


生きていく上で必要な仕事ってあると思う。
社会をミニマル的発想で見ていけば
10年後100年後無くならない仕事って見出せると思う。
なんだろう?
100年後無くならない仕事って。
これだ!と言える仕事があるだろうか?
お医者さん?画家?落語家?政治家?
コンビニの店員?配達員?


この「生きていく上で必要な仕事」を選別できなければ
今は大丈夫でも今の子供が
大きくなる頃には社会の構造はガラリと変わっているだろう。
今から20年前はPS2が発売した年だが、
その20年後にはPS5が発売との事。
技術の進化はこんなにも進んでいる。


ここ20年位で生活が変わった事、
例えば年賀状を出さなくなった。
年賀状業界はどう思っているだろうか?
レンタルビデオを借りなくなった。
レンタルしなくても動画サイトで見れる。
技術が発展すれば更なる発展は倍々で早くなっていく。
情報にも追い着く努力が必要 


ネットありきの社会になりつつもある。
こうやってブログを書いてアップロードするのも
ネットでの作業だし。
ネットで買い物、ネットで娯楽、ネットで仕事。
現時点でネットが使えなくなった場合、
どれほどの人が仕事を失うだろうか?
ネットって絶対に大丈夫なものなのだろうか?


僕が思うこれからも無くならない仕事。
それは「ネットを使わない仕事」だと思う。
今やネットを「戦場」にする時代。
サイバーテロなどもよく聞く。
ネットは安全なように見えて
「危険な場所」でもある。
あの国は内戦続きだから行かない方がいい。
そんなのと同じ場所だ。 


日本人の「特性」にラグビーはリンクするかもしれない。
前にパスせず、後にパスする。
あと何メートルでトライなのに前にパスできない。
3歩進んで2歩下がるじゃないけど、
昔からそう教育されてきた事を
「間違っていた」とないがしろには出来ない。


今苦しんで仕事をしている人。
その苦労に押しつぶされそうな人。
その先に何もないかもしれないが、
何かあるかもしれない。
ネットでは楽して儲けている人もいるかもしれないが、
そんな甘い罠に飛びついてはいけない。
地道は強いのだ。
確実に一歩前に進む所が日本人の素晴らしいところだ

クローゼットの中のボリュームが多いのはなぜ?服の数だけのせい??

クローゼットや洋服ダンスの中が
パンパンになっている人。
入らないからとまた洋服を収納する物を
購入してしまう人。
洋服は常に着る物で、
物の様に比較的
なんでもいいという訳にはいかない。
手放して行くにも少し勇気と勢いが必要になる。

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 クローゼット内のボリュームはなぜ?

 夏服なんてペラペラの生地だから
それほどかさばらないが、
冬服は結構かさばる。
旅行なんか行く時も
夏と冬じゃ全然かさばりが違う。
僕はこの冬、
服のかさばり問題をクリアしたので
その方法を書いて行こうと思う。


今年の冬は暖冬だったので、
比較的温かかった。
例年よりも薄着でもよかったわけだが、
冬って結局何着たって寒い。
いや、私はたくさん着てるから
寒くないという人は
どれほどモコモコした服装で
出かけているのだろうか?
モコモコしてたらそれは温かい。 


モコモコした服でないと外に出れない人、
例えば外仕事の人なんかは
どうしても服のかさばりは出てくるだろう、
でも一つ二つ気を付ければ
服のかさばりは減って行く。
僕が最初に目を付けたのが下着だ。
下着をかさばらない生地に変えた。


ユニクロなどでも売っている
サラサラした薄地のインナーに全部変えた。
僕は男性なので、
パンツとシャツを全部
そのインナーに変えたら
劇的に洋服収納しているところの
スペースが増えた。
小さくたためるので
スペースが付くれられるのだろう。
靴下なんかも薄地でいいかもしれない。


そしてもう一つ、
所持するインナーの枚数を
必要最小限に減らした。
枚数を決めるのは洗濯の回数が基準になる。
洗って乾くまでに着る物が
無くならないギリギリの枚数にした。
洋服は結構着ていない服ってある。
それを削る作業でまた
劇的にスペースは増える。


夏はいい。
夏は薄着なので
厚手のインナーやアウターを
気にしなくていいから。
でも冬は一気に服の存在感が大きくなる。
今頃、部屋中
服であふれかえっているお家などいると思う。
でも基本は夏の行程と変わらない。
夏の服から薄手の物を重ね着ていくのだ。 


これまたユニクロに限らず、
今はヒートテック素材の
インナーも増えている。
防寒具合もかなり高い商品もある。
それらを着て、
薄手のインナーを着て、
薄手のアウターくらいにしておくと、
かなり服の圧迫感は減る。


服の圧迫感は無くなるが、
やっぱり寒いだろう!という話になると思う。
確かに寒い。
寒いが、じゃ~あと何枚、
どんなものを着て外へ行くつもりか?
という話になる。
モコモコ力士が歩いてるんじゃないか
みたいな服装で出かけたいのであれば、
それは仕方ないが、
出来るならスマートに冬を過ごしたい。


結構何着たって寒い時は寒い。
どうせ寒いなら
薄着でいいんじゃないだろうか?
あとは寒さを防ぐツール。
手袋だったり、首元、頭を暖めるツールは
いくらでもある。
ツールは一つ二つあれば数が増える事は
あまりない。
マスクなんかも結構温かい。 


寒さを我慢しろという訳じゃなく、
寒いのも少し妥協しないと
服は減らないという事だ。
たくさん着る人は着る人なりに、
着る物を変えると
絶対に服の圧迫感は減る。
順番だと中に着ていく物、
下着から見直して行くと
パズルのようにうまくいくと思う。


服を減らそうと思ってない人にしたら
何言っているんだ?という話だが、
結局何に悩んでいるか?
服の多さに悩んでいる人結構いる。
悩んでいるけど、
実はそれほど難しくなく、
服は減らせる。
でも何年も何年も同じ事で悩んでいる。
それはなぜかと言うと実行していないからだ。


考えて実行して行けば劇的に服の枚数、
圧迫度は減って行く。
行動のパターンを変えてみたり、
行く場所を統一してみたり、
服は行動が多い人程増えていく。
引きこもりの人は服はそれほど要らない。
極端な例だがそういう事なのだ。

間違っても自分で「世のため人のため」の行動だと口にしてはいけない

信用できない人っていると思う。
何を基準にして「信用できない」のかは
個人次第だと思う。
リアルでもネットでも信用できない人がいる。
たとえばネットでの話。
ブログでは偉そうな事ばかり言って、
顔も見せない、部屋も見せない、持ち物も見せない。
それなのに偉そうに色んな事を語る人。。
それは僕の事だ。僕の事は信用してもらえているだろうか? 

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 「世のため人のため」というセリフは

自分を大きく見せるため?

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なぜ自分でこのセリフを言う?

 


ネットでよく見る。
「自分の活動は人のため、世の中のためになればいいと思っている」
僕はそれに偽善を感じてしまうのだ。
言った本人はどういうつもりで言っているのかはわからない。
本気でそう思っているのかもしれない。
この際、本心はどうでもいい。
ただ、その「人のため、世のため」と発した時点で
胡散臭く感じてしまう。 


 「人のため、世のため」に活動してる人は
それを言わずに、黙ってすればいいのではないか?
そう思ってしまう。
そのセリフを自分で言うのは少しかっこ悪いと思ってしまうのだ。
評価とは人がする物。
「あの人は世のため人のために活動して偉いね」
となれば、それは他人からの評価だからすんなり受け止められるが、
自分で「世のため、人のため」と言ってしまう事に違和感を感じる。
また、言ってる本人はどのつもりで言っているのか。


どんなジャンルでも活動すれば、それに賛同してくれる人がいて、
コミュニケーションを始める。
例えばブログやツイッターyoutubeでのコメント。
個々でのやり取りが始まる。
沢山の人と関わりを持ち、自分中心のコミュニティができる。
このコミュニティの中心になった人間の心理が今回のテーマでもある。
コミュニティの中心になった事でその人は
「ハイ」になる傾向がある。
「ハイ」だ「ランナーズハイ」の「ハイ」


人は慕われたりすると少し「先生」気分になる。
この「先生」気分、すごく心地がいい。
あの人に聞いてみよう、あの人の意見を聞いてみようと
あの人の所にいろんな人が寄ってきて、
「それはね、○○でね」と正解かどうかも解らない事を
正解の様に話す。
これが「ハイ」だ


僕はここまでがいい。この様になりたくない。
この先、口走ってしまうセリフで
すべてが台無しに思ってしまう。
「この活動は世のため人のために行っている。」
いや、自分のためでしょう。
欲求承認の末に出てしまった言葉なのではないか?
そうも思ってしまう。 


発信のツールによって収益が出る場合もある
youtubeやブログなどそうだ。
収益が出てる時点でまず、「自分のため」じゃないのでは?
収益が出ない場合でもこれは言える。
登録者数。フォロー数、購読者数。
これらが増えていくのは、すごく気持ちがいい。
この数字が増えていくのを楽しむために
情報発信する行動を行っている人もいる。
これも「自分のため」じゃないのではないだろうか?


世の中には本当に「世のため人のため」に行動してる人もいる。
「世のため人のため」と自分で言ってる人の中にも
「世のため人のため」に行動している人も多いと思う。
ただ、それを自分で言ってはダメだと思う。
それを言ってしまった人は少し「浮かれている」と思う。
浮かれてはいけない、謙虚に、堅実に発言する事が
少なからず、たくさんの人に共感を得れる存在の立ち振る舞いだと思う。


さいごに、
僕はどうだ?
僕は何のために情報を発信をしているのか。
それは
暇つぶしと、ほんの少しの収益が入ればいいな
ただそれだけである。

登録数が多い人の情報が正しいのか?情報を見極める基準は何なのか?

同じカテゴリーで色んな人が
色んな情報を発信している。
ツイッターやブログ、
YouTubeなどでその情報を目にするのだが、
好みなどもあるかもしれないが、
ためになる情報と
ためにならない情報ってある。
その差って何なのだろうか?

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 どの情報が正しいのか?

 


発信者の好感度って結構大きい。
好感度とはしゃべり方であったり、
年齢、ルックスなど。
年齢が近い人だから好感持てるとか、
しっかりした年齢だから説得力があるなど。
若い人がペラペラしゃべっているのを見て
「若造が」と思う人は
若い人の話は響かないのであろう。


登録者数、フォロワー数で
その人の格を見て話を信じる人もいる。
登録者数すごいから
この人の話は信じようなど。
確かに登録者数というのは格であり、
成績みたいなところもある。
だがそれはあくまでその人の話で
聞き手には関係ない。
数字で信じ込んでしまうのはまずい。


例えばダイエットなどを成功した人と
ダイエット途中の人、
どちらの情報がためになるか?
ダイエットって結局結果論だと思う。
痩せたからエラそうな事が言える。
でもその偉そうな事が必ずしも
聞き手に合うとは限らない。
上から物を言うという感じがする。


上から物を言う人の話を
素直に聞けない僕は少しひねくれているのか?
同じカテゴリーで素人が情報発信している。
登録者数1万の人と、
登録者数20の人の情報の内容に
何の差があるのだろうか?
情報を受ける側の人は
登録者数などで情報の確かさを
計ってはいけない。


登録者数が多ければ人気者だ。
人気者だから~わ~!って
浮かれている人も注意したほうがいいと思う。
どんな有名人だって嘘をつくし、
悪い事だってする。
芸能人が有名人だからって
みんな善人かと言えばそうではない。
何が自分にとってためになるのかは、
贔屓なしで自分で集めないと。


その業界で成功した人より、
途中でもがき苦しんでいる人の情報の方が
僕は好きだ。
ためになる。なぜなら、
その途中の人は上を目指してもがいている。
もし自分がまだそのカテゴリーで
活動していないなら、
途中の人は自分のちょっと先の人となる。
富士山登る時、8合目目指すのと同じだ。 


情報は自分の好み。
褒めて伸びるタイプの人と
叱ってもらって伸びるタイプの人。
情報発信者も優しそうに話してくれる人と、
厳しく話してくれる人、
どちらが自分のためになるか?
情報の聞き手は発信者を選べる。
たくさんの情報の中から
自分が好きな発信者を選べる。
心地いいだろうが伸びるだろうか?


「この情報耳が痛いんだけど、
でも確かにそうなんだよな」という情報から
耳をそらしてないだろうか?
自分の環境に適した情報ばかり
集めていないだろうか?
それが悪い事ではないが、
それはただの共感者で、
情報を収集して成長しようという人の
する事ではない。 


自分の置かれている状況より少し上にいる人。
ブログを始める人が5年ブログやっている人を
教科書とし、
1年ブログ続いている人を
講師としてみる。
学校の授業もそうだ。
先生は教科書を主として、
先生なりに解釈して生徒に伝える。
それが教育制度だ。


自分で情報収集する場合は
結局情報が偏る。
自分好みの人ばかりの情報を集めているから
成長しない。
僕は正直嫌いな情報発信者の情報も見る。
こいつ嫌いなんだけど、
確かな事言っているんだよな~と。
嫌いな人だけど共感できる情報って
結構重要で価値ある情報だと思う。


だからと言って登録者数がすごい人は
大したことないのか?と言えばそうではない。
自分がその登録者数をどんな方法でも
獲得できるのか?
登録者数がすごい人はその人なりに
成功をしている。
その人の情報を疑い、
疑いから確信に変わった時
さらに情報として質が上がる。


情報は聞き流すだけでなく、
噛み砕き、自分の物にして初めて実になる。
疑いの目で見るという事は悪い事ではなく、
情報発信者もそれでいいと
思っている人が多いのではないだろうか?
僕の話信じて!っていう情報発信者
それ程いない。